妊娠・出産は喜ばしい出来事である一方、母親のからだにも心にも大きな負担となります。
出産後1年以内に産後うつを発症する母親は全体の10‐15%と報告されており、母親のメンタル不調は子どもの発育・発達にも大きな影響を与えることから、産後うつに対するケアは世界中で重要な課題となっています。
産後うつに対しては、認知行動療法(Cognitive Behavioral Therapy, CBT)の有効性が多くの研究で示されています。しかし、赤ちゃんのお世話などで医療機関への受診自体が困難なことも多く、十分に普及していない状況です。
このような背景の中、近年自宅に居ながら受けられるインターネット認知行動療法(Internet-based Cognitive Behavioral Therapy, iCBT)が注目されています。
本記事では、産後うつの症状とその治療におけるインターネット認知行動療法の現状について詳しく解説します。
医師
石飛信
国立大学医学部を卒業後、母校の精神科医局に入局。臨床医、研究職を経て、現在は単科精神科病院で勤務。医療ライターとして医療系記事の執筆も行っている。精神保健指定医、日本精神神経学会専門医・指導医、子どものこころ専門医、医学博士。
産後うつとは?
出産後は、身体的な疲労やホルモンバランスの変化から「マタニティブルース」と呼ばれる情緒不安定になりやすい時期が高い頻度(約50‐80%)でみられることが明らかになっています。
ほとんどの場合、2週間程度で自然に回復していきますが、1ヶ月以上このような状態が続き、今までに無いほどにうつ症状が強くみられる場合には産後うつの可能性があるので注意が必要です。
出産後1年以内に産後うつを発症する経産婦は10‐15%と報告されており[1]、決してまれなことではありません。
産後うつの症状
産後うつでは、一般的なうつ病と同様、気分の落ちこみ、意欲興味の低下、食欲不振、不眠などの症状がみられます[1]。育児が思うように行かない場合に、「私はダメな母親だ」と自分を過度に責めることもあります。
また、「赤ちゃんに危害を加えてしまうかもしれない」、「床に落としてしまったらどうしよう」などの強迫的な不安に取りつかれてしまうことも特徴の一つです。
重症例になると、「いっそ消えてしまいたい」という自殺念慮がみられることがあり、精神科での専門的な治療が必要になります。実際、日本においても、周産期の死因第1位は身体的問題ではなく自殺であることが明らかになっています。
産後うつの原因
産後うつの原因は、下記にあげたような産後特有の身体的要因や生活環境の変化など複合的なものと考えられています[1]。
女性ホルモンの急激な変化:出産に伴い、女性ホルモンであるエストロゲンとプロゲステロンの分泌が急激に変化し、不安や気分の落ち込みを感じやすくなります。
睡眠不足:昼夜を問わない授乳や寝かしつけにより、睡眠リズムが崩れ、慢性的な睡眠不足状態になります。肉体的な疲労も取れづらくなり、心身ともに疲れ切った状態が持続しやすくなります。
家族の理解・サポート不足: 産後うつは、「産後だし当然経験するようなしんどさ」と捉えられやすく、家族に病的な状態と理解されにくい一面があります。家族は、産後うつが決して珍しいものではないことを理解し、サポート体制を整えておくことが大切です。
母親になるという心理的な変化: 出産を機に、「母親」という役割への急激な変化が生じ、それに慣れるまでの葛藤やストレスが存在します。
うつ病の既往: 妊娠前や妊娠中にうつ状態を経験したことがある場合、産後うつ病を発症しやすいことが報告されています。
産後うつの治療
産後うつに対しては、既にお伝えした母親のストレス因や身体的疲労を周囲が気づき、極力減らしてあげることが大切です。
近年、自殺防止の観点からも産後のメンタルヘルスケアの重要性が認識され、厚労省の産婦健康診査事業による産後うつのスクリーニング(産後の健診時に質問紙でうつ症状の程度を判断するもの)が行われています。また、産後のメンタルヘルス向上に役立つ情報サイト(例;Knowell Family[2] )も立ち上がっています。
抗うつ薬などの薬物療法は、産後うつの重症度に応じて選択される場合があります。一方で、子どもへの影響の懸念から薬物療法を敬遠する母親も多く、薬物療法を主体とした治療には限界があることも確かです。
産後うつに対する薬物療法以外の治療手段として、英国などの診療ガイドラインにおいてCBTが推奨されています[3]。
しかし、日本国内ではその技法を医療者が学ぶ機会も限られているためにリソースが不十分であることや、身体的疲労や赤ちゃんの世話にかかりきりになるために、対面で行うCBTにアクセスできないことが課題となっています。
そこで近年、これらの問題を解決する手段としてオンライン上で実施可能なiCBTへの期待が高まっています。
インターネット認知行動療法とは
CBT(Cognitive Behavioral Therapy, CBT)は、認知に働きかけて情緒を安定させたり、問題解決を支援する精神療法の一種です[4]. 認知とは、物事の受け取り方や考え方という意味です。
CBTは、自己や他者に対する自身の認知の癖に気付き、誤った認知を修正していくことで、メンタル不調に繋がるストレスを軽減させるものです。
CBTはうつ病以外にもパニック障害や強迫性障害など様々な精神疾患に対する有効性が示されています。
産後うつでは、「母親とはこうあるべき」、「他のお母さんのように完璧に育児をこなさなくては」などの認知が影響して、日常生活でも支障をきたすことが多いため、このような認知に対するアプローチが有効になります。
CBTには、定型的(高強度)CBTと簡易型(低強度)CBTがあります。高強度CBTは、従来行われてきた専門家による対面での個人精神療法であり、十分な時間をかけるため効果が期待できる反面、提供できる施設にも限りがあります。
一方で、低強度CBTは、マンパワーや時間を効率的に抑えながら一定の効果を得られるように工夫されたものであり、手法も様々です。
オンラインで行える iCBTは、自宅で実践でき、育児に支障が少ない低強度CBTの一つであり、医療機関への受診が難しい産後うつを抱える方への活用が期待されてます。
インターネット認知行動療法の利点
iCBTは、CBTの理論に基づいた心理療法の一種で、オンラインで提供される認知行動療法です[5]。近年の新型コロナウイルス感染症の流行を受けて、iCBTの臨床研究が盛んに行われるようになり、強化型CBTと同様にうつ病や不安障害などの精神障害に対してiCBTが有効であることがわかってきました。
iCBTの利点を以下にまとめます。
01.アクセシビリティの向上:iCBTは、患者が自宅で自分のペースで治療を受けることができるため、治療へのアクセシビリティが向上するという利点があります。
02.治療費用の削減:iCBTは、対面式の治療法に比べて費用が低く抑えられるため、治療費用の削減につながります。
03.匿名性の確保:iCBTは、患者が自宅などで治療を受けるため、医療機関で知り合いに出会うこともなく匿名性が確保されます。
産後うつに対するインターネット認知行動療法の現状
ここで、iCBTの一種である”ガイド付きインターネット認知行動療法(Guided Internet Cognitive Behavioral Therapy)”の産後うつに対する研究報告をご紹介いたします
ガイド付きインターネット認知行動療法は、インターネットを通じて適宜ガイドや治療者によるオンライン面談によるサポートを受けながら行われます。患者さんが疑問点を理解しながら進められるため、治療からドロップアウトしにくくなる利点があります[5]。
2021年にMilgromらは、産後うつと診断された116名の母親を対象に、対面でのCBT(高強度CBT)とiCBT(低強度CBT)の比較研究を報告しています[6]。
この研究で用いられたiCBTは、MumMoodBoosterプログラムというWebサイト上と電話指導で双方向性にやり取りを行うガイド付きインターネット認知行動療法です。
治療開始時、治療開始12週間後、24週後にうつ症状の程度を電話による面接で評価したところ、対面でのCBT(高強度CBT)、iCBT(低強度CBT)ともに同程度のうつ症状改善効果があり、その改善効果はiCBT(低強度CBT)でより維持される傾向にありました。
つまり、うつ状態の産後女性に対するガイド付きインターネット認知行動療法が、対面でのCBTに代わる治療選択肢となる可能性が示されました。
このことは、対面でのCBTへのアクセスが難しい産後うつを患う母親にとって、健康を取り戻す大きな手助けになるかもしれません。
まとめ
産後うつの特徴とその治療における課題、そして新しい治療選択肢になりうるiCBTについてお伝えしました。
産後は大きく環境が変わり、心理的変化が起きやすい時期です。産後うつを抱える母親への適切なサポートは、母親の健康のみならず、子どもの行動・発育にとっても重要です。子育てで忙しく余裕のない母親が気軽に利用できる質の高いiCBTの拡充が期待されています。
マインドバディの提供するガイド付きインターネット認知行動療法は、費用やアクセシビリティの観点からも、産後うつを抱える方のお役に立てるかもしれません。
参考文献
[1] Postpartum depression.Pearlstein T, Howard M, Salisbury A, Zlotnick C.
Am J Obstet Gynecol. 2009 Apr;200(4):357-64. doi: 10.1016/j.ajog.2008.11.033.
[2] Knowell Family(ノーウェル・ファミリー) (ncnp.go.jp)
[4]認知行動療法とは|認知行動療法センター (ncnp.go.jp)